『邯鄲(かんたん)の夢(ゆめ)』
“人生が栄えようともおとろえようとも、それはほんの短い夢のようにあっけなくむなしいものだ。” *2
邯鄲というまちで、短い間に、出世して一生を終える夢を見た人の話からできた。
唐の玄宗の時代
呂翁 ( りょおう ) という名の道士が 邯鄲 ( かんたん ) の茶店で休んでいると、 盧生 ( ろせい ) という若者も茶店に入ってきました。
彼は、最初、楽しそうに話していましたが、粗末な衣服をしみじみ眺めてため息をつき、
「世の中うまく行かないものですね。男子に生まれたからには、功をなし名を上げて、戦に出れば大将となり、朝廷にあっては宰相となるべきです。しかし、今の有様はどうでしょう。30歳になってもまだ、畑仕事に精を出す身です。」
と不満を言い始めました。
やがて盧生が眠気を催したのを見て、呂翁は自分の枕を差し出し、
「お若いの、私の枕で寝てみなさい。思いどおりの栄耀栄華をさせてあげよう。」と言いました。
盧生が、呂翁の枕で眠ると、枕の両端にあった孔が大きくなったので、中に入ってみると家がありました。
その家で盧生は名家の娘を娶(めと)り*3、仕官の試験に合格して官吏となり、位人臣を極めました。
一方で政変にも巻き込まれ、一時は囚われの身となり、
「私の田舎の家には、わずかだが良い田があった。そこで百姓をしていれば飢えや寒さも凌げたものを、なんで仕官をしてしまったのか。今こうなっては、貧しい服を着て邯鄲の道を歩きたいと思っても叶うことはない。」
と言って自殺しかけたこともありました。
幸福な晩年を迎えた盧生は、やがて寿命を迎えて死去しました。
盧生があくびをして目を覚ますと、そこはさっきの茶店で、呂翁が相変わらず傍らにいます。
茶店の主人は、盧生が眠る前に 黍 ( きび ) を蒸していましたが、それがまだ蒸しあがっていません。
盧生は今までのことが夢だったと知って、しばらく憮然(ぶぜん)*4としていましたが、やがて、
「おかげで人生の栄枯盛衰のすべてを知ることができました。これは先生が私の欲望をふさぐ方法だったのですね。ありがたく教えを頂戴します。」
唐代の作家、 沈既済 ( しんきせい ) の小説「 枕中記 ( ちんちゅうき ) 」より
小説「 枕中記 ( ちんちゅうき )
『故事成語/故事成句(こじ せいご/こじ せいく)』とは
以下『伏字』*5にしてみました。(^_-)-☆
大昔にあった物や出来事。また、遠い過去から今に伝わる、由緒ある事柄。特に中国の古典に書かれている逸話のうち、今日でも「故事成語」や「故事成句」として日常の会話や文章で繁用されるものをいう。その語源とする一群の慣用語句の総称。本来の中国語ではただ「成語」というが、日本では故事を語源とするものをその他の熟語や慣用句と区別するために、このような呼び方となった。