赤い薔薇のSoliloquy

華道教授で サッカー大好き お母さんです

戸塚

akaibara2005-05-19


東海道五十三次をテーマに、宿場があった土地を訪れ、現代の東海道と眺めくらべる
 戸塚宿

歌川広重作 【戸塚元町別道

戸塚宿は日本橋から5つ目の宿場町で 1604年(慶長9)に一般の宿場町よりもわずか遅れて伝馬宿に定められ、江戸―小田原間の中間にあたっていて栄えた。

「お江戸日本橋七つ立ち……」と歌われたように、当時の旅人は午前4時に日本橋を出発。健康な旅人はこの宿場で、一泊する人が多く、東海道中膝栗毛の弥次さん、喜多さんも1日目はここに投宿したと云われています。

朝四時ごろに江戸を出発して、戸塚宿は、江戸からちょうど十里の距離に位置 することと、保土ヶ谷宿藤沢宿間が比較的長いこと、江戸よりの「権太坂」と 京よりの「大坂」の二つの難所に挟まれていることから大きな賑わいを見せました。 また、戸塚宿は大山道、鎌倉往還との分岐点でもあり、大山参拝客や鎌倉の古寺を 訪れる人々にも高い人気を誇っていました。

【歌川広重東海道五十三次版画と赤い薔薇日記】