赤い薔薇のSoliloquy

華道教授で サッカー大好き お母さんです

「東京大空襲」

      
       

第二次大戦 *1


1945(昭和20)年3月10日 その日から65年が過ぎました。


その時 私 満6歳 子供でよかった!


東京の商家で父と店の住み込み店員2人が戦地に、お手伝いさんも里に帰りました。
母子4人で実家の横浜へ移動したすぐ後のことでした。


御蔭で命拾い*2しました。


横浜も中心地でアメリカ軍B29の焼夷弾を避け防空壕に入ったのも昨日のように覚えています。
入り口を守ってくれていた方に焼夷弾の火が移りその姿が忘れません。

小学校入学前のことでした。
入学式(それどころではなかったし)勉強したことも覚えていません。


紙(有っても、わら半紙*3)も鉛筆もなく・・・[涙]


食べ物も“親鳥が必死に何処からか運んでくる”ように、母が子供3人に与えてくれました。
御蔭で、お腹が空いた覚えはありません。
それで弟は小学校の健康優良児に選ばれました。(^_-)-☆


備忘録

日記 記念写真


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戦前(昭和16年頃だと思う)出征する父に持っていってもらう記念写真だったのでしょうか?


*1:第二次世界大戦 1939年9月1日の、ドイツのポーランド侵攻によって始まり、1945年8月15日の日本の降伏をもって終了した人類史上最大規模の戦争。

*2:危うく命が助かること

*3:(わらばんし、藁半紙)とは稲藁や麦藁を原料とする半紙で消しゴムで消すと破れることもあった。