赤い薔薇のSoliloquy

華道教授で サッカー大好き お母さんです

今ある命

akaibara2008-03-10




東京大空襲から63年
私達家族(母兄弟3人)は父親、店員3人が共に出征したため店を閉め、
東京から母方の実家がある横浜に疎開していて命拾いをしました。

それでも終戦まで防空頭巾を被って、防空壕を出たり入ったりしたのを憶えています。
防空壕の外に立っていた男の人に
B-29から投下された焼夷弾が当り火達磨になった姿も目に焼きついています。

小学校入学の年でした。
楽しみにしていた入学式に行った憶えもありません。
低学年時代は、すべてが失われ勉強もしませんでした。


大きくなって東京大空襲の悲惨さ怖さを知り戦争は二度と起こしてほしくないと思いました。

因みに私の名前は“太平洋戦争”の一字「洋」をとって名付けられたと聞きました。
この戦争が勝利で終わると勘違いしていたのでしょうか(;O;)
この時代に同じ名前が多いのも・・・。

身代わりになって亡くなった多くの方の御冥福をお祈りいたします。


              合掌      
                    【般若心経】